私が大学に行きたいと思ったのは

頭がおかしいことを理解したうえで、

自分が神だと信じたふりをしたとき、

私が大学に行きたいと思った理由を一応説明したい。

 

まずは学歴と事情に見合っただけの就職と給料が欲しかったから。

どう考えても、本来、その勝者が恩恵に預かるのが正しい社会の

あり方だろうと思ったから頑張った。

また、勉強だけしてて、言いたいことは特になくて、こうやって他人の

経験から仕事を盗んでやるのは泥棒と言えなくもないと思う。

そういうのをやらなくていいところに行きたいのだ。それをやりたい人が

大学教授といえば、いえなくもない気もする。キモチワルイモノを見たい。

それか、それを見ながらでも、とにかくやりたいことがある。なのかしらん。

 

あとは、 

小中学校とかで、本当に「勝つ」ことだけを目的とした

競争主義が蔓延してて、

階層を維持するためにイジメをして、勉強する気を起こさせないとか、

自分なんて出来ないと思い込むことや、

イジメに笑顔で対応できても、その次に、学問の力で

やり返そうと努力を出来ていなく感じたことが大きいのかもしれない。

 

そのくせ、他人が助けてくれると思って、

遊びながら待ってれば、それでいいと思っている人に対して、

「やってみなきゃ分からないし、出来ると思ってやってみたらいいのに」

と思っていた。

「こいつ、いじめっ子や!」なんて、相手を倒したいと信じるだけの

弱みを握ったと信じて、倒すネタにすればいいんじゃないかと思ったの。

 

だけど、大学を卒業して、経済的な背景と、イジメを背にしたとき、

頑張ることはなかなか難しいものだなと思った。

だから、基本的人権の尊重、とか法の下の平等とか、そういう言葉を

教える中で、経済格差とか、家の馬鹿でかさとか、

親の属性とか、片親かどうかとかは、配慮されてしかるべきだと思うし

その不均衡を矯正できないなら、家計における教育費を政府が保証するしか

ないんじゃないかな。と思った。

というか、経済を大体一緒にしてもいいかもしれない。

医者とか会計士とか、時給は高いから週2日働けばそれで良くすればいい。

一人で引っ張れるほうが危ないのか。集団ストーカーを護衛と言い切るのか。

というか、眞子様のSPは海の王子のSPに変更し、かつ外交官にして、

眞子様はお医者さんと結婚して、誰にも追いかけられない自由を謳歌してはどうか。

小林氏は多分、それを海の王子に渡してあげたかったんじゃないのか。

せっかく準備してくれたので、歌舞伎の公演を、お手伝いしてもらいましょうとか

中村氏もお付き合いで中村しどうさんが癌になってるから、

悲劇を乗り越える歌舞伎!!と、そういう風にしたり、バレエとか音楽とか

そういう人たちが、全員で小室氏をサポートしながらやっていくという

ゲームになっているのだろう。そこに、もはや、眞子様は頑張りすぎてるから

必要ないと思う。

というか、歌舞伎に眞子さままでくっついていると、遠慮して買えなくなるし

行ったら悪いかな、みたいになっちゃう人もいるから、

悲劇の海の王子のバックアップによる歌舞伎の公演が良いんじゃないかと思う。

少し悲しい気持ちで見たほうが、熱狂した気持ちで見るより、

歌舞伎の真剣さみたいなのが、伝わりそうな気がする。喜劇みたいなのも

たくさんあるんだろうけど、

実は「こんなとこまで作りこんでます」みたいなのを

演出したほうが、「そんなに神経使ってるのか」とかなるだろうから、

そっちに集中してもらうために、眞子様ハイから、舞台に集中してもらえるのが

悲劇の海の王子プレゼンツなんじゃないか。そうすると次第に、

海外の王族もその演出をして文化芸術交流が勝手に進む気がする。

 

今の政府は、教室の中で、うそつきみたいな印象がある。

どっちも間違ってて、歩みよれないのかもしれないけど、だからこそ

歩み寄る努力を不断に続けることが必要なのかもしれなくて、

苗字で、とか氏で、とかでなく、

個人の実績から攻守交替を図ったほうが良いのかもしれないし

それは、権力だけじゃなくて、経済的な基盤とかもそうだと思う。

あるいは政治家に対しての要望なのかもしれない。

少なくとも、国会議員とか地方議会とかは、任用資格に一定の学歴制限が

必要なのではないか。学費を無料にさえすれば、高卒や部落とか

よく分からない特権席を設ける必要がなくなるから、

ゴキブリの死骸を先生のトイレ中に投げつけた人物が

私立専門学校とはいえ、先生になるようなことは、なくなるんじゃ

ないだろうか。